「遠い未来の話」やない。現役PTの36%がすでに業務でAIを使っており、その76%が「1日30分以上の業務時間が短縮された」と実感してる。
これは、俺たちPTの話や。
先日、SNSで海外から流れてきたAI搭載型リハビリロボットのデモ映像が物議を醸してた。LiDARで関節可動域を0.1度単位で計測し、大規模言語モデルで最適なフォームを即座に指示する。24時間365日、完璧な理論に基づいたリハビリを提供し続ける——そんな未来や。
確かに「数値化・記録・一貫性」という点では、俺たち人間は完敗や。でも、その動画を見ながら俺は、ある種の確信を持った。「AIが決して越えられへん壁がある」と。
AIは確実にリハビリ現場に入り込んでる。カルテ記録の自動化、歩行パターンの動作解析、リハビリプログラムの提案——これらはすでに実用化されてる。でも「自動化率0.4%」という数字が示す通り、PTの仕事の本質はまだ代替できてへん。
PTにしかできへんのは「触れて評価する・推論する・直接介入する・寄り添う」こと。
問題は、この境界線が今後どこまで動くかやねん。
ここが元の記事で語られてへんかった、一番重要なポイントや。
現在の姿勢推定AIは、主に「健康な成人の動作データ」を学習してる。そのため、こういうケースで精度が大きく低下することが分かってる——
つまり、AIが最も精度よく動くのは「健康で若い人の動作分析」——リハビリが最も必要な層とは正反対のケースやねん。
俺らが毎日向き合ってる現実——麻痺、拘縮、認知症、複合疾患——そういう「複雑な体」ほど、AIの精度は下がる。
AIロボットはカメラで「動き」は見えても、患者の肌に触れた時に伝わってくる「筋緊張(トーン)」の微細な変化は読み取れへん。
「今日はいつもより筋肉が強張ってる。この可動域訓練はリスクが高い」「この痛みは、数値には出ない心の拒絶から来てる」——こういった、指先から伝わる非言語情報の「監査」は、2026年現在のAIには不可能や。
これを俺は「触覚という参入障壁」と呼んでる。AIにとって、この壁はまだ高い。
さらに深い話をすると、触覚情報は単なる「物理データ」やない。患者さんの心理状態、その日の体調、治療への不安——こういう情報が筋緊張として体に現れる。これを「読む」のは、データ解析ではなく「人間同士の対話」の領域やねん。
AIの正論は時に患者を追い詰める。「あなたの数値はこうです。最適なプログラムはこれです」——完璧な正解を、正しく届けても、患者が動かへん場合がある。
でも、人間である俺がふと見せる「いや〜、今日は俺も腰が痛いですね」という小さなしぐさ。一緒に躓き、一緒に悔しがる不完全さ。それが患者にとっての「心の安全地帯」になり、「この先生なら任せられる」という信頼(ラポール)に繋がる。
「昨日は眠れなかった」「退院できるか不安で」——そんなひと言に寄り添い、その日の目標を微調整し、「もう少し頑張ってみよう」という気持ちを引き出すのは、信頼関係のある人間だからこそできること。
日本医師会の生命倫理懇談会も、AI偏重の「技術的解決主義」への警戒を明示的に指摘してる。痛みや機能障害が「データの問題」である前に、それは「その人の生活の問題」やから。
誰にでも再現できる「完璧なマニュアル」には参入障壁はない。でも、現場の空気を感じ取り、不完全な人間として寄り添うことで生まれる「一言」や「手技」は、AIには決して真似できへんオーダーメイドの知財や。
「AIにPTが置き換えられる」という論点は、実は間違った問いやと俺は思う。正しい問いは「AIをどう使いこなすか」やねん。
ベテランにとっては自分の仮説を裏付ける客観的データとして活用できる。
これからのPTには、AIの提案を鵜呑みにせず、目の前の患者さんと照らし合わせて取捨選択する「コーディネーター」としての能力が求められる。
CPA受験生として言えば、これは「会計ソフトの登場でCPAが消えた」という話やない。むしろ「ルーティン作業はソフトに任せて、判断が必要な部分により専念できるようになった」という話や。AIはPTの代替物やなく、PTの能力を拡張するツールやと俺は思う。
ただし、「AIが苦手なことをやるだけで大丈夫」という安心は禁物や。AIの進化に合わせて、自分も日々アップデートし続けること——これなしに「替えのきかない個人」でい続けることはできへん。
脳(CPA)はAIと共存し、移動(トレイルシーカー)は最新の電気に任せる。でも、誰かの痛みに触れるその指先だけは、一生アナログで、不完全で、人間臭いままでいたい。
それこそが、2026年という時代において、俺たちが「替えのきかない個人」でいられる——今のところの——唯一の道やと思うから。
「今のところの」とあえて書いた。AIは進化し続ける。俺たちも進化し続けなあかん。
その時、俺は何を磨いてるんやろな。
そう自問しながら、今日も患者さんの体に触れる。
明日を俺の力で(Asuore)