明日オレ|「なんとなく」生きてきたPTが、公認会計士を目指すブログ

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火葬99%の国で「土葬させろ」——数字が示す文化摩擦の本質と、日本人が感じる違和感の正体

この記事は日本の多文化共生をめぐる問題について個人的な見解を述べたものや。特定の宗教・民族を否定する意図はない。ただ、「問題を問題として語ること」を避けることも誠実やないと思って書いた。
人口が「数万」から「42万」に変わった時、「個人の選択」は「社会の問題」に変わる
日本に住むムスリム(イスラム教徒)の人口が、2024年末時点で約42万人に達した。
1990年代初頭は数万人やった。30年で約10倍以上に膨れ上がった。

そして今、各地で「土葬墓地を作らせろ」という要求と、地域住民の反対が衝突してる。
この軋轢の正体を、数字で診てみる。

俺が今回言いたいのは「誰が悪い」やない。「人口規模が変わると、以前は個人の選択で済んでた話が、社会全体の問題に変わる」という構造の話や。

 
数字で見る増加速度
30年で10倍——これは「数万人の時代」とは別の話や CPA的マクロ監査
1990年代初頭の在日ムスリム人口数万人規模
2010年末約10万人超
2020年約23万人
2024年末(最新推計)約42万人(外国人36万+日本人5.5万)
モスク数(1999年→2024年)15か所 → 151か所(10倍)
今後の見通し技能実習・育成就労制度の拡大でさらに増加予測

「以前のムスリムは郷に従って火葬を受け入れてきた」——これは事実や。でも、数万人の時代と42万人の時代では話が変わる。人口規模が増えれば、個人の選択が集合的な要求になる。これは数字の話であって、誰かを責める話やない。

インドネシア国籍のムスリムだけで2020年→2023年の3年間に2.23倍に増加してる。技能実習・育成就労制度で国が「来てくれ」と呼び込んでいる以上、この流れは今後も続く。
文化の衝突
「郷に入っては郷に従う」——この原則はどこへ行ったんや 日本人の視点

火葬は日本の「慣習」やない。公衆衛生・土地の有効活用・宗教的中立性という複数の合理性に支えられた、99%が選んできた文化や。

日本人がムスリム圏の国に行って「火葬させてくれ」と要求したら、どうなるか。多くの国では難しいか、受け入れてもらえへんやろ。それが「文化の違い」というもんや。

「逆の立場やったらどうする」という問いは、感情論やない。相互性(reciprocity)の原則——これはCPA的に見ても、人間関係でも、国際社会でも、取引の基本原則や。

「多様性を認めよ」という言葉が、「来た側の文化に合わせよ」という意味になってへんか?

日本人が感じる違和感は「異文化への嫌悪」やなくて、「相互性がない」という感覚からきてる部分が大きいと思う。
軋轢の構造
なぜ今、各地で衝突が起きてるのか PT的診断

PTとして体を診る時、「症状が出てる場所」と「原因のある場所」は違うことが多い。今、各地で起きてる土葬墓地をめぐる住民反対運動——これは「ムスリム vs 日本人」の対立やない。

症状:住民の反対運動、町長選での争点化、闇土葬の発生

原因:「人口を増やした側(国)が、その文化的摩擦に対して何の備えもしてこなかった」という構造的な問題や。

土葬可能な墓地(全国)約10か所(西日本はゼロ)
ムスリム人口42万人
国の方針「土葬を禁止しない」とだけ言って、制度は自治体任せ

大分県日出町では、別府ムスリム協会が手続きを進め住民と合意したのに、町長選で反対派が当選して計画が白紙に。宮城県知事が整備を検討したら市町村長から難色を示されて撤回。

これ、「文化の衝突」というよりも「誰も責任を取らへん状態で、現場だけが押しつけられてる」構造の問題や。

CPA×PT的結論
「受け入れる量」と「変わる文化」のバランスをどこで引くか 論点の整理

俺が思う問題の核心はここや。

「多文化共生」という言葉は、『どの文化を、どこまで』という定義を持ってへんまま使われすぎてる。

「共生」には前提がある。互いに相手の文化をリスペクトし、その国の基本的な慣習のコスト(折り合い)を払い合うことや。それなしに「共生」とは言えへん。

日本人の多くが感じてる違和感は「外国人が嫌い」やない。「自分たちの文化・慣習が、相互性なしに変えられていくこと」への不安やと思う。この感覚を「差別だ」と切り捨てることが、むしろ分断を深めてると俺は思う。

人口規模が変わる時、「個人の選択」は「社会の変容」になる。
どのスピードで、どこまで受け入れるかを、感情ではなく数字と論理で議論できる社会であってほしいと思う。

それを「差別だ」と封じることが、正直な議論を潰してきたんちゃうか。
 
結論:問題を「問題」と言える社会であること

「火葬99%の国に来て土葬させろ」——この要求に違和感を持つことは、正直な感覚やと思う。その感覚をちゃんと言語化して、数字と論理で議論することが大事やと俺は思う。

「差別」と「正当な問題提起」は違う。文化的な摩擦を「差別だ」と封じることは、問題の解決ではなく先送りや。

人口が増え続ける中で、「郷に入っては郷に従う」という原則をどう機能させるか。それを議論できる社会であることが、俺は大事やと思う。

感情で叫ばず、数字で考える。でも感覚を封じない。

これが38歳・PT×CPA受験生の、今のところの答えや。

明日を俺の力で(Asuore)