ネットで定期的に燃え上がる「残クレアルファード」のミーム。
「身の丈に合わないローン」「2DKの駐車場に鎮座する高級車」「生活削って払う月賦」。
「計算合ってへんやん」「B/S(貸借対照表)歪みすぎやろ」ってな。
でも、最近その評価が真逆になったんや。
彼らを嘲笑することは、実はこの社会を根底で支えている「熱量」を否定することなんちゃうか? そう思うようになった理由を、俺なりの視点で監査してみた。
俺みたいに金利を0.1%単位で削り、補助金をハックし、中古相場を読み切ってから動く「超・合理主義者」ばかりになったらどうなるか?
誰も「無茶な買い物」をせえへん。誰も「背伸びした投資」をせえへん。みんなが貯蓄と投資に全振りして、損をせえへんタイミングまで待機する社会。
CPAの試験問題なら「適正」かもしれんけど、マクロ経済で見たらそれは「血流停止」や。
理屈を超えた「えいや!」という勢いこそが、実体経済を前へと押し出すエンジンなんやな。
PT(理学療法士)として多くの患者さんの「回復」を見てきた俺からすれば、あの残クレの重圧は、ある種の「強烈な負荷トレーニング」に見える。
月々10万近い返済。それは崖っぷちや。でも、その崖っぷちが、彼らの労働意欲を爆発させてるんちゃうか?
これ、リハビリでいうところの「代償機能」の極致みたいなもんや。しんどい状況やからこそ、普段出せへん火事場の馬鹿力が出る。
彼らが現場で泥臭く働き、稼ぎ、消費することで、社会の血流が回っとる。自分のリスクを担保に、社会システムを動かしてくれてる最前線のランナーなんや。
なぜ彼らはそこまで無理をするのか? それは「自分ひとり」のためやない。
「子供に広い車で思い出を作ってやりたい」「家族でカッコええパパでありたい」。
そんな、数字にできへん「非合理な愛」や「誇り」が、彼らを突き動かしとる。合理主義者が「リスク」と呼ぶものを、彼らは「家族への誠実さ」と呼び変えて、現実に変えていく。
のれん(営業権)どころか、オンバランスにすら乗らへん価値が、そこにある。
「残クレアルファード」を笑えるのは、俺らが彼らの回してる経済の「安全圏」におるからに過ぎへん。
合理主義者は「正解」を出すけど、非合理な情熱は「動力」を生む。社会という巨大なシステムは、スマートな決断だけでは維持できへんねん。
計算機を持たずに全力で人生をドライブし、きつい坂道を必死に登り続ける彼ら。その勇気と熱量に、今、俺は心からの「無限定適正意見(フルリスペクト)」を送りたい。
そう笑いながら認められる心の余裕。
それこそが、数字と人間を扱う俺らが、試験勉強の合間に思い出さなあかん「人間への深い理解」やと思うねん。