ざっくり言うと「AIを賢くするために、みんなのデータを使いやすくしようや」という動きや。
「便利になるからええやん」って思う人もおれば、「勝手に俺のデータ使うなや!」って腹立つ人もおると思う。
でも俺は、もっと深いところで引っかかった。
「これって、俺らの『人生のログ』の扱い方が、根こそぎ変わる契約変更なんちゃうか?」
ちょっと「明日オレ」流に、噛み砕いて書いてみるわ。
2026年4月7日、政府が閣議決定した個人情報保護法改正案の骨子はこれや。
・AIの学習データとしての利用など、一定条件下で本人同意なしにデータを使えるよう規制緩和
・一方で、大量の個人情報を販売して利益を得るなど権利を侵害した事業者には課徴金(罰則)を新設
「緩和だけ」やなく「厳罰もセット」という、アクセルとブレーキを同時に踏んだ改正や。現在国会で審議中。
AIを育てるには、めちゃくちゃ大量のデータが必要や。俺らが何を買い、どこへ行き、どんなことに悩んでるか。その「生活の軌跡(ログ)」が、AIという怪物を育てるための「エサ」になろうとしてる。
でもな、ここで忘れたらあかんことがある。
貯金が300万未満やろうが、100年モノの古民家に住んでいようが、その情報は「俺らのもの」や。AIという道具を賢くするために、俺らの「尊厳」を使い捨ての消耗品みたいに扱わせてたまるか。
でも、人間が必死に生きてきたプロセスに刻まれた価値は、誰かが勝手に決めた計算式(アルゴリズム)で目減りさせていいもんやない。
リハビリの現場で、患者さんが一生懸命に一歩を踏み出すあの瞬間の輝きは、どんな数字にも置き換えられへん。
公認会計士の勉強をしてると、「監査(チェック)」の重みを毎日感じる。今の世の中、みんなAIの「正しさ」ばっかり気にしてるよな。「AIの判断は公平か?」とか。
もちろん大事や。でも、もっと大事なことがある。
「そのデータを扱う人間が、どれだけ誠実か?」
どんだけ頭のええ計算式を作っても、それを動かす人間に「個人の人生へのリスペクト」がなかったら、それはただの「効率よく人を管理するシステム」になってまう。
でも監査の本質は、数字の正しさより「血の通った誠実さ」を問うことやと、俺は思う。
AIは確かに便利や。「あんたの合格率は〇〇%やで」とか、「最適なリノベはこれや」とか教えてくれるかもしれん。
でもな、最後にハンドルを握るのは自分や。低金利のローンを組むって決めるのも、5月の試験に向けて泥臭く理論を詰め込むのも、この100年モノの家をどう守っていくか決めるのも、AIやなくて「俺」やねん。
自分のデータは、自分の一部。誰かに、勝手に自分の価値をスコアリング(点数付け)させへん。
俺らが、自分の足で歩いて、自分の手で書き込むんや。
今回の改正は「緩和」だけやない。悪質な事業者への罰則強化もセットになってる。それ自体は、一定の歯止めになる話や。
でも制度がどう変わろうと、俺らの「生活の軌跡」に宿る価値は、誰にも減価償却させへん。
今回の法律の話をきっかけに、「自分の人生は、自分で責任を持つ(オーナーシップ)」っていう気持ちを、もう一度強く持ちたいな。
便利さと引き換えに、少しずつ手放すものを意識しながら生きていきたい。
「明日を俺の力で(Asuore)」——その意思だけは、アルゴリズムに渡さへん。
なーんてな。
でも、PCができた頃も人間って勉強しなくてもいいかもってなったみたいやけど、結局それを使うために人間の能力は向上した。AIもそうなりそうね。その方が安心。生物として進化していかな!俺らも