「平均値」という幻想に踊らされ、自分の通帳と見比べてはため息をつく……そんな光景が目に浮かぶ。俺も、画面を見ながらいろんなことを考えてしまった。
正直に言う。
「40歳で貯金もないなんて、何も考えてこなかった証拠やろ。困った時だけ国や社会に権利を主張するんやろな」と。
でも今は、ちがう。
30代後半になり、人生の酸いも甘いも噛み締め、自分の未熟さを知り、そして何より「生きることの大変さ」を肌で感じるようになった今——あの頃の自分の「監査意見」がいかに傲慢で浅はかやったかを痛感してる。
40歳。人生の折り返し地点において、預金残高という数字は、その人の本質を何ら説明せえへん。
俺たちは、勝手に他人の人生の決算を下してはいけへんのや。
PTとして多くの体を見てきて思うのは、健康な体とは「脂肪(貯金)」の量だけで決まるもんやないということや。
どれだけ贅肉が少なくても、動けへん体は「機能不全」や。逆に、少し重たくても、誰かのために手を差し伸べ、自分の足で立ち、社会の中で機能してるなら、それは「健やかな人生」と呼べるんちゃうか。
数字は正直や。でも、数字だけが正直なわけやない。
会計の世界では、リスクに備えて「引当金」を積み立てる。でも人生には、どうしても積み立てられへん時期がある。
そんな時のために、社会には「生活保護」や「公的支援」というシステムが存在する。これは、人間が長い歴史の中で作り上げてきた「究極のリスクヘッジ」や。
必要な時に使うのは、権利でも恥でもない。制度として存在する以上、それは「使われることを前提に設計されたもの」や。引当金は取り崩すために積み立てる——会計の基本と同じやで。
預金残高が300万だろうが、30円だろうが、今日誰かのために汗を流し、一生懸命に生きてるなら、その価値は「時価」では測れへん。
バズってる数字を見て落ち込むのは、もうやめよう。
あなたのB/S(貸借対照表)には、数字には表れへん「優しさ」や「強さ」、そして「明日を俺の力で(Asuore)」変えようとする「意思」が、莫大な「のれん(営業権)」として計上されてるはずやから。
あの頃の「監査意見」は、間違いやった。
人生は、通帳の数字だけで監査できるほど、単純やない。
それに気づけた今の俺の方が、少しだけましな人間やと思う。