明日オレ|「なんとなく」生きてきたPTが、公認会計士を目指すブログ

15年目の現役理学療法士が、まさかの公認会計士試験に挑戦!日々の勉強記録、仕事の気づき、自然と共生する未来への雑記ブログ

【明日オレ流】「40歳、貯金300万未満」のバズりに寄せて――B/Sに載らない「人生の価値」を再監査する

かつての傲慢な俺が、30代後半になってようやく気づいたこと
先日、X(旧Twitter)で「40代で貯金300万未満」という話題がバズってた。

「平均値」という幻想に踊らされ、自分の通帳と見比べてはため息をつく……そんな光景が目に浮かぶ。俺も、画面を見ながらいろんなことを考えてしまった。

正直に言う。

かつての俺は、どこかでこう思っていた。

「40歳で貯金もないなんて、何も考えてこなかった証拠やろ。困った時だけ国や社会に権利を主張するんやろな」と。

でも今は、ちがう。

30代後半になり、人生の酸いも甘いも噛み締め、自分の未熟さを知り、そして何より「生きることの大変さ」を肌で感じるようになった今——あの頃の自分の「監査意見」がいかに傲慢で浅はかやったかを痛感してる。

 
01
「300万」という数字で、人の価値は計れへん B/Sに載らない資産

40歳。人生の折り返し地点において、預金残高という数字は、その人の本質を何ら説明せえへん。

家族のために走り抜いた人
子の教育、親の介護にキャッシュを注いだ。手元には残らなくても「愛」という無形資産を築いた
夢に破れた人
40歳まで夢を追い、破れ、何も残らなかったかもしれへん。でもそのプロセスで得た「経験」は誰にも奪えへん
不運に抗い続けた人
病気、事業の失敗、理不尽な境遇。泥水をすすりながらも今日を生き抜いてる。その「生存」そのものがエネルギーの証明や
「あほみたいに」生きてきた人
それでも一生懸命に働き、社会を回してきた。その行為は巡り巡って誰かを助け、計り知れない貢献をしてる

俺たちは、勝手に他人の人生の決算を下してはいけへんのや。

02 PT視点
「重さ」より「機能」を診る 理学療法士として思うこと

PTとして多くの体を見てきて思うのは、健康な体とは「脂肪(貯金)」の量だけで決まるもんやないということや。

どれだけ贅肉が少なくても、動けへん体は「機能不全」や。逆に、少し重たくても、誰かのために手を差し伸べ、自分の足で立ち、社会の中で機能してるなら、それは「健やかな人生」と呼べるんちゃうか。

貯金という「体脂肪」に一喜一憂する前に、「今、自分は社会の中でどう機能してるか」というバイタルサインをチェックすべきやと思う。

数字は正直や。でも、数字だけが正直なわけやない。
03 CPA受験生視点
「社会のセーフティネット」という正しい仕訳 究極のリスクヘッジ

会計の世界では、リスクに備えて「引当金」を積み立てる。でも人生には、どうしても積み立てられへん時期がある。

そんな時のために、社会には「生活保護」や「公的支援」というシステムが存在する。これは、人間が長い歴史の中で作り上げてきた「究極のリスクヘッジ」や。

必要な時に使うのは、権利でも恥でもない。制度として存在する以上、それは「使われることを前提に設計されたもの」や。引当金は取り崩すために積み立てる——会計の基本と同じやで。

かつての俺は「権利だけ主張する」と切り捨てていた。でも今思えば、そのシステムに支えられることで、また立ち上がって社会に貢献できる人がどれだけおるか——そっちの話をなんで考えへんかったんやろと、恥ずかしくなる。
 
結論:あなたの価値は「通帳」の外にある

預金残高が300万だろうが、30円だろうが、今日誰かのために汗を流し、一生懸命に生きてるなら、その価値は「時価」では測れへん。

バズってる数字を見て落ち込むのは、もうやめよう。

あなたのB/S(貸借対照表)には、数字には表れへん「優しさ」や「強さ」、そして「明日を俺の力で(Asuore)」変えようとする「意思」が、莫大な「のれん(営業権)」として計上されてるはずやから。

傲慢やった俺へ——ごめんな。

あの頃の「監査意見」は、間違いやった。

人生は、通帳の数字だけで監査できるほど、単純やない。

それに気づけた今の俺の方が、少しだけましな人間やと思う。