
古民家の冬は、隙間から入り込む風が少しだけ厳しいけれど、ステンレス大容量やかんで沸かしたお湯で淹れるストレートティーの温かさが身に染みる季節。
最近、ふと考えたことがあるんです。 「AIが誰でも使える未来」って、実は来ないんじゃないか?って。
1. 「アクセスの平等」と「リテラシーの格差」
今やスマホ一台あれば、誰でも世界最高峰の知能(AI)にアクセスできる。 でも、ふと周りを見渡すとどうでしょう。
最新のテクノロジーを自分の血肉にしている人と、数年前のやり方から一歩も動けない人。この二極化は、ツールが便利になればなるほど、残酷なまでに広がっている気がします。
臨床現場でも同じです。 最新のエビデンスをAIで爆速でリサーチして治療をアップデートするPTもいれば、経験則という「過去の遺産」だけで勝負し続けるPTもいる。この差は、もはや努力の量ではなく、「道具を使いこなすOS(思考力)」の差なんだと痛感します。
2. AIは「思考の代行」ではなく「レバレッジ」
公認会計士の勉強をしていて思うのは、AIは決して自分の代わりに合格してくれるわけじゃないということ。
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ダメな使い方: AIに答えを丸投げして、分かった気になる(脳の減損処理)。
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Asuore流の使い方: 複雑な連結会計の論点をAIに噛み砕かせ、自分の弱点をピンポイントで突かせる(知識の資産化)。
AIを「自分をサボらせる道具」にするのか、それとも「自分の限界を突破するブースター」にするのか。そこで、未来の自分の市場価値は決まってしまう。
3. 「問いを立てる力」という最強の無形資産
「誰でも使える」はずのAIが、なぜ一部の人にしか恩恵をもたらさないのか。 それは、AIに「何を問いかけるか」という目的意識(ガバナンス)が欠落しているからではないでしょうか。
100年前のこの家をDIYで直していく時も、「どう直したいか」というビジョンがなければ、どんなに高級な工具があっても家は完成しません。AIも同じ。自分の人生をどうデザインしたいかという「問い」がない人にとって、AIはただの便利な検索エンジンで終わってしまいます。
「AIは万人のためのツールだが、その果実を収穫できるのは、自ら考え、問い続ける意志を持つ者だけである」。
今日もストレートティーを一杯。 「明日への俺」を少しだけアップデートするために、AIという相棒と共に、難解な財務諸表の山に挑もうと思います。
編集後記
テクノロジーが進化して、いつかどんな病気でも治せる世界が来るかもしれない。 でも、その恩恵を真っ先に受け、さらに次の世代へ繋いでいけるのは、今この瞬間から「新しい当たり前」を使いこなそうと足掻いている僕たちなのだと信じています。