ひとつ目——物理的な不足。ホルムズ海峡の実質的な封鎖でナフサ価格が歴史的高値を更新し、あらゆる製造現場から悲鳴が上がってる。
ふたつ目——役割の不足。AIエージェントの普及で「人間の仕事がなくなる」という不安が社会を覆ってる。
でもな、この「不足」の正体は、単なる資源の欠乏や技術の進化やない。
本当の不足は、「自分だけの『1』を作り出す能力」の不足やないか——俺はそう思う。
先日紹介した川崎重工の「水素からナフサを作る技術」。これこそが、物理的な「不足」への一つの正解や。
素材がなければ、別のルートで自分たちで作る。コストが高くても、依存を断ち切るための「1」を確保する。
「モノがないから仕方ない」と諦めた筋肉は、二度と戻らへん。川重の挑戦は、日本という身体の機能を維持するための「攻めのリハビリ」そのものや。
重要なのは「今すぐ儲かるかどうか」やない。「いざという時に使える選択肢を持ってるかどうか」——これがオプション価値の本質やねん。
コストが高くても「1」を持つことが、国の強さや。
文化も、歴史も、思想も、技術も——「今すぐ経済的利益を生まへんもの」を抱え続けることが、日本の「のれん」を守ることやねん。
ここで、もう一つの「不足」の話をしたい。AIの活用、俺は大賛成や。でも「AIができるから、手動の計算はいらん」「基礎を飛ばして効率だけを追う」というのは、絶対にちゃうと思う。
今の風潮はこうなりがちや——
「基礎を飛ばして効率だけを追い求める」
でも、俺の考えは真逆や。
CPA試験の勉強をしていて痛感する。AIは仕訳を一瞬でやるし、計算ミスもせえへん。でも、その数字が「正しいか」「会社をどう変えるか」を最後に判断するのは人間や。
PTとして言えば——体の動きをAIが解析してくれても、患者さんの「ちょっと今日はしんどそう」という微細な変化を読み取るのは人間しかできへん。その「読み取る力」は、基礎的な解剖学・生理学・臨床経験という「泥臭い積み重ね」があってこそやねん。
AIに勝てないかもしれない。でも、AIにできない存在にならなあかん。
「AIはあくまで加速装置」という言葉、もう少し深掘りしたい。
加速装置は「加速するもの」が必要やねん。
F1カーのエンジンがどれだけ高性能でも、ハンドルを握るドライバーの判断力・反射神経・コース読みの能力が低ければ意味がない。むしろ高性能なエンジンほど、ドライバーに求められる技術水準は上がる——これがAIと人間の関係の本質やと思う。
そしてその判断力は、貸借対照表の構造を手で書いて覚え、連結仕訳を泥臭く解いて身体に染み込ませた「基礎体力」があって初めて機能する。
AIが進化すればするほど、「AIの出す答えを正確に批判できる人間」の価値が上がる。これが逆説的なようで、実は当たり前の話やねん。
「AI以前よりも、強くなれ」——これが俺の結論や。
ここまで書いてきた話が、全部一本の軸で繋がってることに気づく。
「コストが安ければいい」「AIに任せれば楽だ」——そんな平時の論理だけで生きてたら、いざという時に何もできへん「ゼロ」の存在になってしまう。
不便でも自分で計算できる思考力。
一見無駄に見える文化・歴史・思想。
この「一見無駄な1」を抱え続けることこそが、国の、そして個人の「いざという時の強さ」やねん。
そして、それは財務諸表には載らへん。でも、長期的に「信頼」と「のれん」として蓄積されていく——これがCPA受験生として俺が学んでる、最も大事なことの一つやねん。
ナフサが足りないなら、水素で作る。AIが仕事をするなら、人間はもっと高みで考える。
不足を嘆く暇があったら、自分という資産に投資して「1」を積み上げ続ける——素材も、エネルギーも、そして人間の能力も。
5月の短答式試験が近い。AI時代にわざわざ会計学を学ぶ意味——それはAIに数字を任せるためやなくて、AIが吐き出した数字に「俺の意見」という魂を載せるためやねん。
「いざという時に使える選択肢」として持ち続けることが、日本の、そして俺たちの「のれん(信用)」を守ることや——俺はそう確信してる。
不足の時代に、自分だけの「1」を。
2026年、日本のリハビリ。俺のアップデートは止まらへん。
明日を俺の力で(Asuore)